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できないことは、やらない。 松井秀喜さん


1996年、日本シリーズ

私は、オリックス対巨人の試合を
固唾をのんで見守っていた。

両チームの3番打者には
イチローと松井。
当時23歳と22歳の若きスーパースターが
テレビの中で躍動している。

私はその時、野球に興味がなかった。
イチローと松井ぐらいは知っていたが、
父親と強引にキャッチボールさせられるのが憂鬱で、
ボールを触るのも嫌だった。
プロ野球も観ていなかった。
テレビ中継もさっさと終わってほしかった。

そんな私がなぜ、野球の試合なんて観ていたかというと、
学校の先生と賭けをしたからである。
オリックスが勝てば私が、巨人が勝てば先生が、
負けた人にお願い事することができるというルールだ。

私は先生に、もしオリックスが勝ったら
冬休みの絵日記を免除させてくれ、と頼んだ。
先生が何を頼んできたかは覚えていない。

小学生と教師という間柄でありながらも、
ふたりは男であることに変わりはなかった。

負けられない戦いがそこにはあった。
オリックスを全力で応援するため、
血眼になって日本シリーズを観た。

第一戦でのイチローのホームランに始まり、
結果は終始オリックスが試合を優勢に進めて、
4対1でオリックスが優勝。
冬休みの絵日記を書かなくて済むことが確定した。

それと同時に、一人の選手のファンになった、
それが松井秀喜だった。

1996年の日本シリーズでは、
松井はあまり良い成績は残せていなかったが
試合後のインタビューでの応対とか、
凡退した後の風格を見て一目ぼれした。

その時から私は松井を追いかけ始めた。

目次

概要

松井秀喜 1974年6月12日生まれ 石川県出身

産まれたときから体重3,960グラムと体が大きく、
保育園では先生が小学生だと勘違いするほど巨体であった。

小学生の頃は野球のほかに柔道、相撲、ピアノなど
多彩な才能を培っている。

中学校に入学する頃には
身長170cm体重95kgと圧倒的な体格をしていて、
打球の飛距離も大人より遠くに飛ばしていた。

ニックネームの「ゴジラ」は松井が高校生の頃、
新聞記者が半ば強引につけたものが定着した愛称。
高校1年生で強豪、星稜高校の四番打者を務め、
2年の夏の選手権では3回戦で甲子園初ホームランを打つ。
3年の夏には伝説となる5打席連続敬遠で勝負を避けられ、
高校最後の甲子園を終える。

5打席連続敬遠は物議を醸し、連日ニュースで取り上げられ、
対戦相手だった馬淵監督は「高校生の中に一人だけプロの選手が混じっていた」
と敬遠した経緯を語っていた。

1993年のプロ1年目、高校を卒業してすぐのキャンプで
150メートル越えのホームランを連発し、
馬淵監督が5打席連続敬遠した理由が世間に知れ渡る。

1軍で試合に出場して2試合目には初ホームランを記録。
その時の対戦相手であるキャッチャー古田は
「ジェット機が飛んでくみたいだった」と感想を語った。

その後も順調に成績を残す。
1996年には130試合に出場し、打率3割1分4厘、38本塁打、99打点と、
誰もが納得する成績を残し、
1998年には自身初の本塁打王、打点王を獲得。
2002年には自己最多の50本のホームランを打つ。
この年は松井にとって最高の成績を上げたシーズンで、
三冠王こそ逃したが、日本では敵なしの状態であった。

2003年からは戦いの舞台をアメリカに移す。
ニューヨークヤンキースへ移籍し、本拠地での開幕戦、
満塁で打席を迎えた松井はメジャー初ホームランを記録。
ニューヨークのファンを虜にした。
2004年には日本人メジャー最多記録となる31本塁打を記録。
2021年に大谷翔平が46本塁打を放つまで破られなかった。

2009年には日本人初となるワールドシリーズMVPを受賞。
チームの9年ぶりとなる世界一に貢献した。

現役を終えるまでに通算で507本のホームランを放ち、
大舞台での活躍が目立つ勝負強い打者であった。
また、日米通算1768試合連続で試合に出場するなど、
体も丈夫で、まさに”ゴジラ”のような、力強い選手の代名詞である。




名言集

  • 心が変われば行動が変わる、行動が変われば習慣が変わる、習慣が変われば人格が変わる、人格が変われば運命が変わる。
  • 悔しさは、それに耐えられる人間にしか与えられない。
  • 力を出し切ればおのずと良い結果を生むと思います。
  • 自分が野球をしていられることが平和であることだと思っています。
  • 誇りを持つ人が多い組織ほど、ここぞという場面で強いような気がします。
  • 神様は楽をしている人、楽をしていい結果を残そうとしている人、投げやりになっている人には、最終的には微笑まないと思います。
  • 打てないボールは、打たなくていいという諦めを持つには勇気が要ります。
  • 生きる力とは成功し続ける力ではなく失敗や困難を乗り越える力。
  • 自分にコントロールできないことは一切考えない。考えても仕方ないことだから。自分にできることだけに集中するだけです。

学んだこと

自分をコントロールするというのは
簡単なようで難しい。
他人をコントロールするなど
もっと難しいことだ。

最近だと”圧”という言葉がよく使われるが、
プレッシャーや集団意識など、
自力ではコントロールできない大きな力に圧し潰されながら
窮屈に暮らしている人も多いと思う。

私自身も圧を感じることが多々ある。
そんな時に、松井秀喜のことを思い出す。

自分にできることだけに集中する。
そう考えると、周りからの圧力が少し弱く感じる。


松井秀喜は私にとってのヒーローであり、
多くの人に愛された野球選手だった。
今も尚、松井秀喜を敬愛してやまない人たちがいる。

数々の記録や受賞歴を持つ松井だが、
私が一番凄みを感じたのは
ニューヨークの記者が選ぶ、最も取材に協力的だった選手に贈られ贈られる
グッドガイ賞を受賞したことだ。

日本人が外国であるアメリカで、そのような賞を受賞するのは
あまり聞いたことがない。

松井秀喜は野球界のスタープレイヤーであり
人生の規範となる人格者である。


私は小学生低学年の頃、体が弱く、内向的で
クラスでも空気のような存在だった。
だから、松井秀喜に憧れたのかもしれない。

松井のように恵まれたものは持っていないが、
私も彼のような、人のために自分の力を使える
そんな人間になろうと思う。

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