ブレンパワードとの出会いは私が社会人になってからで、
23歳になってしまった頃にニコニコ動画で偶然見かけたのがきっかけだった。
当時、坂本真綾さんと菅野よう子さんの曲にハマっていて、
お二人に関連することを片っ端から調べ漁っている最中であった。
小説ではタイトルと一行目の出来の良さで売り上げが決まるのと同じく、
アニメはOPと冒頭のワンシーンで良さがわかる。
初めてブレンパワードのワンシーンを見たときに
「これは絶対に面白いアニメだ!!!」
と、確信したのが始まりだった。
ブレンパワードがロボットアニメだという認識ぐらいはあったが、
開始一秒目の演出の美しさと一目でわかるメッセージ性、
機械的ではない、柔らかくて暖かい生物的な絵面、
これはYesだと思った。
一話を観たときの感想
※公式HPの各話紹介とキャラクター紹介を参照
期待に胸躍らせてTSUTAYAへ向かった。
旧作レンタル100円制度を利用してDVDを全巻借りた。
PS3にディスクを挿入したとき、運命が変わる予感がした。
OPが流れる。有名な曲だ。
ブレンパワードを観たことがない人でも
アニメというコンテンツに触れていれば知らない人はいない。
世間では「なぜこの子たちは裸なのか」
みたいな話題になりがちなのだが、
当時放送されていた深夜アニメに侵されていた私は、
彼女たちが全裸であることにすら気がつかなかった。
さて、本編なのだが
観ていてもさっぱりわからん……
何なんだこれは? といった感じで、
宇都宮比瑪という女の子が子供たちを連れて
荒廃した街で、何かから逃げている。
そこへいきなり巨大な円盤が飛び込んできて、
宇都宮比瑪の目の前に墜落する。
その円盤から遺伝子のようなものが湧き出す。
そして、ロボットのような見た目のブレンパワードという
生物とは言えない硬質な物体が光を放ち産まれたのである。
リクレイマーと呼ばれている主人公、伊佐未勇は
その飛び回る円盤を追っていた。
パートナーのカナン・ギモスと共に円盤を
オルファンと呼ばれる遺跡へと回収するらしい。
何やら宇都宮比瑪と伊佐未勇は敵対関係にあるらしい。
産まれたばかりのブレンパワードを見て
「あの子、優しい目をしているよ」
と言う、宇都宮比瑪。
大人たちの制止など意に介さず、
ブレンパワードへ駆け寄る。
ブレンパワードは危険な物ではなく
優しい赤子のような存在だと直感的に気づき、
「せっかく生まれたのだから歩いてみれば」
とブレンパワードに促す。
それを見た伊佐未勇は衝撃を受ける。
ブレンパワードをまともに動かせる奴がいるのか、
といった面持ちで驚いている。
リクレイマーが操縦するグランチャーと
ブレンパワードは対の存在であるようだ。
宇都宮比瑪はそのまま子供たちを連れて消えた。
そして、2年の月日が流れた……
というのが、一話のあらすじなのだが、
宇都宮比瑪と伊佐未勇の会話もかみ合っていないし、
どういう状況なのかもパッと理解できない。
正直、微妙だった。
上記で紹介した動画を見ていなければ
私はこの作品を最後まで観ることはなかっただろう。
終盤の映像の自然な美しさを先に見ていたおかげで
序盤の直線多めな硬い絵は許容できた。
物語の中盤
そんなこんなで、伊佐未勇は宇都宮比瑪の在籍する
ノヴィス・ノアという軍艦に居候していた。
ノヴィス・ノアは国連が出資している軍の船らしい。
リクレイマーと呼ばれる集団は
オルファンという海底から浮上した巨大遺跡を
宇宙へと飛び立たせることで
地球を破壊しようとしているようだ。
オルファンの内部では伊佐未勇の父、母、姉が
遺跡の研究をしている。
姉はグランチャー部隊のリーダーだろうか。
伊佐未勇はそこから家出してきた。
グランチャー部隊の一員であるジョナサン・グレーンが
ノヴィス・ノアの船に潜入してきた。
変装をして、体に爆弾を巻き付けている。
「下手なことすると、船ごと爆破する」
乗組員を脅迫するジョナサン・グレーン。
そこで、ブレンパワードという物語の転換が行われる。
今まではノヴィス・ノアとリクレイマーとの対立が
メインテーマなのだと考えていたが、
ここにきて”家族”というテーマが出てきた。
ジョナサンのセリフ
「自分に欠陥があると分かっているのなら、子供なんか作るな!」
は、強烈すぎる。地上波テレビでそれは良くない。
宇都宮比瑪は孤児である。
しかし、周りの人たちからの沢山の愛情を受け
まっすぐに育った。
伊佐未勇は両親の愛情に恵まれていない。
両親との関係を断って、
ノヴィス・ノアへやってきた。
ジョナサン・グレーンもそう。
ジョナサンには父親がいない。
母親との関係も劣悪である。
物語の中で宇都宮比瑪は
ジョナサンと絡むことはない。
育ち方が違いすぎるからか
水と油みたいに
近くにいる場面というのはあるが
会話するなどしないし、混ざらない。
作中でカナン・ギモスが
”母なるもの”について語るシーンがある。
「人間の女たちが母になる事をしなくなった」
宇都宮比瑪も
伊佐未勇も
ジョナサン・グレーンも
本来、母から与えられるべきものを
受けずに育った人たちだ。
違う思想を持ってはいるが
共通するものがあり
わかりあえる要素はあるのだろう。
舞台は荒廃した近未来だが
人々は自由な生活をしており
自由だから自分の欲望に目を向けていて
生存競争の中でエゴを育てている。
ブレンパワードというのは
”自然”と”調和”という
日本古来の宗教的な文化的な思想が
色濃く反映されている印象がある。
その象徴となる人物が登場する。
ネリー・キムである。
伊佐未勇はジョナサン・グレーンとの
激しい戦いの末
何故かわからないが
北欧に転移してしまう。
そこで、彼女と出会う。
ネリー・キムは全身を病魔に蝕まれており
若くして死を悟っている。
急に登場したわりに重要な役割を
作中では担っていて
伊佐未勇の考え方に多大な影響を及ぼす。
ネリーはいわゆる普通の女の子。
特別な能力を持っているわけでもない。
ただ他人と違うのは
余命幾許もないことと、
ブレンパワードに乗っていることぐらい。
勇はネリーと交流していくうちに
考え方が変化していく。
そして、なんやかんやあってノヴィス・ノアに戻ると、
オルファンがアメリカの領土になっていた。
なんでやねん!
終盤
オルファンはただの遺跡ではなく
何かしらの生命体であることが判明する。
宇都宮比瑪がオルファンの内部に入ったとき
オルファンと話すことができた。
宇宙へ飛び出したいのだが、
何か理由があって勇気がでない
そんな感じだった。
比瑪はオルファンに友好的に接し、
心が通じ合う。
伊佐未勇の姉、伊左未依衣子は
戦闘により負傷したため、
敵対する組織である
ノヴィス・ノアで療養していた。
最初は敵の戦闘部隊のリーダーである彼女を
艦内に入れるのを反発する者もいたが、
伊佐未勇の姉ということもあり
なし崩し的に入館を許可した。
伊左未依衣子も両親を嫌っていて、
世界を滅ぼし宇宙へと飛び立つ
オルファンの抗体として
ブレンパワードに牙を剥いていたが、
根は優しいお姉さんだった。
ノヴィス・ノアの乗組員とも仲良くなり
弟の伊佐未勇も安堵の表情を浮かべた。
しかし、依衣子は
「ここは私の居場所ではない」と悟る。
その思いに応えたのか、
依衣子の搭乗していたグランチャーが
ノヴィス・ノアに侵入し、
依衣子と共に脱走をする。
依衣子は自分の居場所に帰りたいと願う。
するとグランチャーは、
幼少期に勇と共に育った村へと向かう。
「違う、ここは私の居場所ではない
私の居場所はオルファンだ!」
依衣子を追いかけていた勇と比瑪。
そこでグランチャーが
生まれ変わる瞬間を目撃する。
依衣子は生まれ変わる最中
走馬灯のような、夢を見る。
それはお爺さんお婆さんであったり、
お母さんであったり、
家族の記憶のようなものが
自身の経験として描かれていた。
「私は家族を守りたかっただけなのに」
依衣子はオルファンの抗体としての自己を再認識し、
家族なんか、と吐き捨ててオルファンへと帰る。
勇は依衣子との関係を
やり直せると考えていただけに、
かなりショックを受けていた。
アメリカは自国であるオルファンと敵対する
ノヴィス・ノアへの核攻撃を実行する。
アメリカ大統領は、
我々が生き残るには彼らのような存在は邪魔になる。
という屁理屈をほざきながら
発射スイッチを押した。
勇と比瑪たちは
ブレンパワードの不思議な力で対抗しようとする。
気とか念のような超能力だ。
しかし、アメリカは何を考えているのか、
勇たちの想像していた数を上回る
数百発もの核を飛ばしてきた。
コンビニでバイトしていて
カップラーメンを誤発注してしまい、
翌日に本来の想定より180個多い
200個のラーメンが届いたとき以上の絶望的な状況であった。
そこへジョナサンと依衣子が駆けつける。
勇とジョナサンは敵対する関係ではあるが、
アメリカの横暴なやり方に反対する仲間でもあった。
「こんな物、なくったって人は…生きていけます!」
宇都宮比瑪のセリフが、
ブレンパワードという物語の方向性を示していた。
人が生きるために必要なものというのは
そんなに多くはない。
原子力が必要かどうかが議論になる事があるが、
少なくとも殺戮を目的とした兵器は必要ではない。
”力の使い方”というのも
ブレンパワードという作品のテーマだろう。
何のために作り、何のために使うのか。
利己ではなく利他の精神が
生きるためには大切なのだと
そう感じとれた。
不思議な力により
全ての核弾頭は消滅した。
再び勇とジョナサンは敵対関係に戻る。
そして、ノヴィス・ノアは
最終決戦のためにオルファンへと向かう。
物語の結末は、キミの目で確かめてくれ!
魂は孤独?
第14話のタイトル「魂は孤独?」では、
勇とジョナサンの口喧嘩が楽しめる。
最終的には勇が完全論破されて怒り狂うのだが、
そこでの勇のセリフである
「嘘だ! ジョナサン流の強がりだ!」
は、あまりにもオーガニック的で
何かよくわからんけど言ってる意味はわかる
不思議なパワーワードなので、
是非、流行らせたい。
ちなみに私は、魂は孤独か? と聞かれたら
孤独ではない、と答えるが、
この質問に対する明確な答えは、
作中では明かされていない。
思うに孤独とは、
なろうと思えばなれるもので、
目の前に見える動物が
全て自分とは違う生き物に見えるのであれば
それは孤独という状態なのだろう。
そのような全否定な状態というのは
自然な考え方ではなく、
人間を見て自分と同じ生き物なんだと思えれば
孤独ではない、と言えるのではないだろうか。
ブレンパワードの薦め
キャラクターデザインに、いのまたむつみ氏
音楽を、菅野よう子氏が担当している。
愛とか遺伝子とか
再生とか想像とか
清潔な描かれ方をしているが、
登場人物の多くは心の中に憎悪を抱いている。
それが昇華されていく快感こそが
本作の魅力といえる。
心にやましい感情を抱いている彼らは
作中でのセリフを引用するのであれば
私たちの身代わりになってくれる存在であり、
私たちの代弁者である。
私も親のことが好きではない。
なのでジョナサンや勇のことを
同じ人間だと感じる。
最近は「親ガチャ」なる概念が存在するが、
その答えがこの作品内にあるのではないかと考えていて、
子供が育つ環境とか親の違いで
失敗とか成功などということを考える必要はないのかもしれない。
ちなみに、正確には「子供ガチャ」と言うのではないかと思う。
産んだ子供が親より劣化して生まれるということは少なく、
むしろ優秀なことの方が多いのではないだろうか。
失敗だと感じるのは育て方に問題があるからで、
まさに”母なるもの”が欠如しているために
成長しきれなかったエゴな子供のなれの果てが
「親ガチャ」という概念を本気で考えているのだと思う。
※責任転嫁に関連する記事
※追記
調べたら「子ガチャ」を訴えてる人もほんとにいるらしい。知らんかった。。
ガチャについての文章が小馬鹿にしてるように見えるのは同族嫌悪のせいなので気にしないでくれ。
作中では親ガチャに失敗した奴らがたくさん登場する。
彼らも内心、もうちょっと良い家庭に生まれたかったと
思っているかもしれない。
もしかしたら、草とか木になりたかったとか考えているかも。
ブレンパワードの放送時のキャッチコピーである、
「頼まれなくたって生きてやる」というのは、
宮崎駿監督の『もののけ姫』のキャッチコピー「生きろ。」
に対してのアンチテーゼだと富野由悠季監督はいう。
親ガチャとかわけのわからん抽象的なことばかり考えている
愛情に恵まれていない私と同じ人間たちは、
叱咤激励と捉えるか、老害の戯言と捉えるか。
幸福だとか怒りだとか、とにかくエネルギッシュな作品である。
生きづらさを感じている、孤独な魂におすすめしたい。あと、クリスマスにプレゼントが貰えなかった思い出がある人とか
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