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『攻殻機動隊 SAC_2045』シーズン2を観てから死生観を再確認した話

中村です。

『攻殻機動隊 SAC_2045』シーズン2を観終わりました。

とりあえず、ざっくりと感想を述べると
「総評としては面白かったが、攻殻機動隊として見ると期待していたほどではなかった」
という感じでしょうか。

酷評ではあるのですが、なんだかんだで次の話が気になって一気見するぐらいには楽しんでいました。


詳しい内容だとか感想は後々語るとして
今回の記事では若干のネタバレを挟みつつ、死生観について書いていこうかと思います。


と、言いますのも
なぜそんなことを書こうと思ったか、なのですが、
作中で一度絶命してしまった人間を蘇らせてロボットとして働かせるという場面がありまして、
それがものすごくNowな問題だな、と感じたからです。


私の勤めている会社の方から教えてもらった記事で、
疑似人格は是か非かといった内容のめちゃくちゃ面白いnoteを見てから
自分を複製すると自分は何を感じてどう思うのかというのが気になっていて、

まさに『攻殻機動隊 SAC_2045』で、その状況が描かれていたわけです。


noteにはNTさんが日本科学未来館で展示会を観に行ったときの感想が書かれていて、
自分もそうですが、大切な人をロボットとして蘇らせたいか? と聞かれると
確かに悩ましい問題だなと、私は感じました。

ただでさえ私の場合「仕事行きたくねぇ」と、
朝起きてから出社するまでの30分ぐらい布団の中でウンウン言っているのに、
死後もロボットになって働かされると考えると、倫理的にどうなのと。

生前に許可を得ているならまだしも、勝手に蘇らせるというのは大問題だと考えるわけです。


攻殻機動隊の主人公、草薙素子も倫理観の問題に作中で触れているのですが、
私は草薙素子が他人を勝手にロボットとして蘇らせることに対して否定派なのかと思っていたので、
かなりビックリしました。

事件解決のために必要な人材だったとはいえ、エゴイスティック過ぎやしないかと。

時代が2045年を越えると死生観というのも変わるというのはありそうな話ではありますが、
『攻殻機動隊 SAC_2045』という作品を通してちょっと疑問を感じざるを得ないシーンでした。


現代では、「生きている=幸福」とはなかなか言い切れません。
死ぬことが恐怖であることは変わらないかと思いますが、
「死=不幸」というのも考えづらいです。

また、世の中が良い方向に進むことを望んでいるのか、というのも
全員がYesと答えるわけではないのだろうと思います。

将来人類が特異点を越えて、死を超越したとして
果たして幸福なのだろうかと考えさせられました。


今、問題になっていることが解決したらそれは幸せなことだろうけど、
それが人間の本質的な幸福なのかと言えばそうとは限らない。

問題を解決するだけではなく、先を見据えた施策を打ち出さなければならない。
文明の進歩に人間の脳はもう追いついていないのかもしれません。

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