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趣味の見つけ方 形成された現在


中村です。

地元を離れ、今は関東近郊に住んでいます。
関東に友達がいないわけではないのですが、
最近は地元の友人たちと遊ぶことが多いです。

基本的にはゲームをしたり雑談したりと、
特に生産性のない、他愛もないことをして楽しんでいます。

そこでよく話題に上がるのが
「趣味がなくて困っている」というもの。

趣味がなくったって、困ることはないかと思いますが
暇な時間や余生の過ごし方を考えると、
人生の楽しみがないというのが不安に感じられるのかもしれません。

動画を視聴するとか、パチンコに行くだとか
そういうのでもいいんだけど、
もっと生産的な、自分のため、人のためになる事をやりたい
そういうことなんでしょう。


私は一般的に多趣味といわれる存在です。
自分では多趣味だと思ったことはないのですが、
大抵の人からそう言われるので、間違いなくそうなんだと思います。

スポーツ全般、音楽、芸術、サブカル、文学、PC家電、プログラミング、車とバイク
と、こんだけあれば確かに趣味は多いかもしれません。

ただ、そのほとんどが手つかずになってしまい、
去年でいえば芸術とプログラミングと車とバイクに関しては
触れられていませんでしたし、
スポーツ、特に野球がめちゃくちゃに面白かったのと、
在宅の作業環境を整備するためにPC周りのデバイスを
買い揃えたのに夢中だった影響で、
ほとんどの時間、パソコンの前に居座って
野球を観ながら家電を調べていました。

残りの時間は仕事とゲーム、時々音楽と小説
みたいな感じで、
やっている私自身は楽しくてやっているのですが、
他人に勧められるような生活かといわれると
全然他人に勧められるような生活ではありません。

ですので、地元の友人にも
「趣味なんかなくたって生きているだけでいい」
と、趣味がなくたって困る必要はない旨を伝えるのですが
あんまり納得してもらえたことはありません。
それでもやっぱり趣味が欲しい、作りたいと言ってきます。


はたして趣味というものは作れるのでしょうか?

私が先ほど述べた趣味というのは
そのほとんどが家族であったり友人から教えてもらった趣味です。
自分から興味をもって取り組んだ趣味というのは
文学だけです。

その文学すらも
学校の先生や母の影響を感じられます。
先生や母がいなければ、本に興味など示さなかったかもしれません。

私の人生を振り返ってみると、
趣味に出会うときというのは、必ず先に誰かが趣味を持っていて、
それを楽しんでいる姿を見て、私も興味を持つようになっています。

楽しそうだから自分もやってみよう、と思ったり
真似してみたり、教えてもらったり


言葉は真似をすることで覚えます。
日本語は子供の頃に家族や大人たちがしゃべっているのを
真似して声を出すのが楽しかったから覚えたんだろうと思います。

今から英語の勉強をするってなっても、
私の場合、そもそも誰かとしゃべるのが苦痛に感じていますから
言語を習得できるようになるとは思えません。

生まれ持って多言語を話せる人もいると聞いたことがありますが、
胎児の頃から言語を理解していたということなのでしょうか。
どうしてそうなったのかはわかりません。うらやましい。


趣味を作るためには人との交流がまず必要ではないかと感じます。
基本的に人は自分のやっていることに興味がわかないのかもしれません。
他人との比較によって好奇心というのは刺激されて、それが趣味になる。

頭のいい人たちは多趣味な人が多い気がします。
だから私も頭がいいと言いたいわけではなく、

元々の記憶力とか分析力とかが高く
抽象的な考え方とパターンを発見する能力が
子供の頃から秀でている人だからこそ
いろんなものに興味を持って調べるので
他人の目から見ると知識があるように見えるのでしょう。

そういう意味では私も小学生の頃は趣味なんてありませんでした。
ゲームとかアニメが楽しかった記憶はありますが、
他にめちゃくちゃ楽しかった思い出があったかどうか。
スポーツは得意でしたが楽しかったかと言われると微妙です。

大人になってから文学という趣味を
自力で見つけることになるのですが、
それは先に音楽とか芸術に強い関心があって
その副産物として生まれた趣味です。

より音楽とか芸術に対する
知見を広げるために、文学に手を出したのです。

なので私の経験から出された結論は、
知的好奇心=趣味であり、
趣味を作ることは可能だが
きっかけとして人との交流が必要。

また、既存の趣味を深化させる過程で
他分野からの知見を得ることで
違う趣味を見つけることもある。

ということになった。


要するに
趣味がなくて困っているというのは、
楽しいと思えるコミュニティがない
と言い換えることができるのではないだろうか。

そう考えると
地元の友人は私とのコミュニケーションを
たいして面白いとは感じていないのかもしれない。
非常に悲しい。

ただ、私なりの強がりを言うのであれば
楽しいと思える学問であったり分野がないのは、
単純に調べるということを怠っているからだと言いたい。

知識を得ることに快感がないのであれば
趣味は作れないだろ、と。

何かを覚える、それを口にすることが
楽しいことだという前提がなければ、
この記事で書いた説は成り立たない。


地元の友人だけではなく
趣味を探している人がいれば言いたい。

君は自分が成長することに飽きていると。

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